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2010.01.04

茜色の夕日

昨年、12/24 フジファブリックの志村くんが永眠しました。
そのニュースを知ったのは25日の20時ごろ。会社から出て、
携帯からTwitterを見たら、そんなニュースがTL上にあがってました。
そこから携帯のフジファブサイトを見たり、ナタリー見たり。
mixiを見たり。もうどこを見ても信じられなくて。わけわからない状態に陥りました。

清志郎さんの時とも、アベの時とも違う喪失感。
それはまだ彼が29歳という若さだった故なのか。

いや、多分私はフジファブリックが、志村が。
多分自分が思ってた以上に大きな存在で、
大好きだったんだ、って事にこんな時に気がつかされました。

その後のミスチルのライブも、真心のライブも
どこかすっきりしない気持ちで見てて。
でも真心のお二人は、今年フジファブリックと楽しそうに
2マンやったくらいだし。もっと心が厳しくなってるんだろうな、って
感じることも多々あって。
4列目でYO-KINGさんのまん前だったんですが
半分以上なみだ目で見てました。ゴメンナサイ。

で、先日のCDJ。
やっぱり民生さん。最初は気丈に振舞っていたように見えましたが
最後の曲です、と唄いはじめたのは
フジファブリックの「茜色の夕日」でした。

君の小さなその目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

会場ですすり泣く声。
民生さんも途中で歌えなくなっていて、それを見てさらに号泣。

その後、トライセラトップスも和田くんが
「シムシム聞いててくれ」」とフジファブリックの「陽炎」を演奏。
またまた涙が止まらなくなって。

氣志團も「茜色の夕日」を演奏したそうです。
もう話聞いてるだけで泣けてしまう。

そして30日。
朝礼で志村を送るために集まった人たちと黙祷。
もうこの時点で、涙があふれていましたが、
この日やるセットリストが映像で編集されて40分間。
思いっきり踊ってきました。
志村の歌と声と。

ライブが終わったあとしばらく動けなくなりましたが、
その後のCDJも口に出しては言わないけども
みんなフジファブリックのことを、志村のことを
考えていたんじゃないのかな、と思うところが沢山ありました。

また改めてCDJレポは書きたいと思ってますが、
いろんな意味で忘れられないCDJ0910になりそうです。

年末、そんなこんなで更新できずに、
結局2010年を迎えてしまいました。

いまさらですが、
皆様、あけましておめでとうございます。
今年ものんびりやっていきたいと思っておりますので、
今後とも宜しくお願いします。

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Comment & Trackback

こんにちは。
ショックでした。
娘が好きで聞いていたので聴いてるうちにハマり…

なんでライブ見られなかったんだろう、と後悔ばかりです。
娘は情緒不安定気味になり、毎日ポロポロと涙を流しています。
悔しいですね。

>>sunさん
コメントありがとうございます。

年末はCDJにはいきましたが
やっぱりまだ彼がいないのが信じられないというか何といか。
でもやっと志村の声を聞きたい、と思えるようになり
最近はフジファブリックばかり聞いてます。
やっぱり名曲多いな、って実感します。

娘さんも早く、元気になりますよう。
志村もきっとそれを願っているはずですから。
そしてずっとフジファブリックを聞き続けていきましょう。

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