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2018.12.02

突然の別れ

2018年11月29日、父が他界しました。

直接の原因は自動車と自転車による接触事故でした。
11/26のお昼頃、交通事故にあったそうです。

その日に病院から連絡があり、頭を打ったとのことで即ICU入り。
ICUに入ってる間はほとんど意識があったのかなかったのかわからないまま。
しかし脳派が落ち着いたという事で3日後には一般病棟へ。

一般病棟に行った時には普通にしゃべれるのかと思ってましたが
私が仕事が終わってお見舞いに行った時にはいびきをかいて寝ていました。

いつになったら普通にしゃべれるようになるのだろう?って思っていた矢先、
29日の午後、容態が急変したと病院から連絡。
すぐに来て欲しいとのこと。

もうその時には既に意識もなく、
しばらくは心臓は動いていて、立川から帰ってくる妹も待っていてくれました。

ちなみに父は腎不全を患っており、
人工透析をはじめて16年。
週3回の透析は厳しいものでしたが、透析のない時には
ある程度の普段通りの生活をしており、
仕事も減ってきていましたが、それでも一家の大黒柱として
そして大田区の町工場の小さな職人として
頑張ってくれていました。

病院に運ばれてきた時に、先生曰く
心臓が少し肥大しており、人工透析がもしかしたら厳しいものに
なるかもしれない、というのは把握していたようです。

なので容態の急変は人工透析の時でありました。

しかし交通事故にあわなければこんなに早い別れはなかったはずです。

軽い事故だと思っていたので
まだ父が生きていた時に相手の会社の上司の方から
ドラレコも見せてもらいましたが
狭い道路での父の急な方向転換も一つの原因でした。

ですからすべてが先方が悪いとも思ってません。
大田区という自転車大国の街、
そして自分も自動車、自転車両方を運転する身として
父の思いも、先方の思いも
理解してるつもりです。

しかし別れとなると自分の気持ちが整理つかず
こんな形で別れる事になるとは後悔も含めて悔しい思いしかありません。

事故にあう前日、家族全員で紅葉見に行こうと
奥多摩まで行ってきたばかりです。

その翌週の日曜、日帰りで京都行こうよー。お金かかるからいいよーって
言いながらも妹と、妹の旦那さんが声をかけた時には
うれしそうでした。
そしてきっとそれを楽しみにしていたはずです。

今日は京都にいた日なのかもしれません…

それが通夜の日になってしまうなんて。
ほんとやりきれない気持ちでいっぱいです。

本日通夜、そして明日告別式。
母が喪主ではありますが実質長女である私が喪主代理みたいな形になっています。
しかし頼りなさ過ぎて、妹や妹の旦那が助けてくれます。

実は数年前まで実際そういう時が来たら家族葬にしようと漠然と思ってました。
しかし数年前に父の兄(おじさん)が亡くなった時に
父が「家族葬なんてかわいそうだ」ってずっと言ってたのを思い出しました。

地元で工場を開き、
地元のお付き合いでここまで暮らせてきました。
例えばずっと病院で寝たきりだったりしたら…家族葬にしていたかも?ですが
今回は
あまりにも突然の別れですし、
父の知ってる人には多くきてもらいたい、って事で小さな一般葬を選択しました。

沢山の人に別れを言ってもらいたい、会ってもらいたい、
そして私たちも父を知る人に会っておきたい。

身内の死を体験するまではそんな風に思った事はありませんでした。

母はちょっとその考え方に反対のようですし
(面倒見がいいくせにとにかく人に負担をかけるのが嫌いな人なので)
そしてこの選択が正しかったかはわかりませんが
今日は多分沢山の人が来てくれると思います。

親戚含めてこんな時に集まるのは、先日おじさんのお通夜の時にも
思いましたが、とても悲しい話ではあるけど
今日は父の思い出話を沢山して父と沢山話してくれるとうれしいな、って
思います。

とても寒い日ではありますが
明日と明後日、天気がよいといいなぁ…

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